第6回会長室から『切腹』

代表取締役会長 河田 聡

司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んで苛々するのは、皆がやたら切腹することです。迫り来る敵に勝てそうにないとなると、敵に殺される前に自ら命を絶ちます。敵に辱められて惨めに殺されるよりは自ら美しく散るべき、というのが日本人の「美学」です。命乞いも争いもせずに自害します。欧米人は「切腹」しません。簡単に諦めることはなく、最後の最後まで粘り強く交渉し激しく争い、殺されるか傷ついても生き残るかを選ぶと思います。

最近の大相撲の話です。

暴力事件を起こした横綱が、協会や親方衆と交渉することもなく争うこともせず、自ら引退届けを出しました。出場停止とか減給とか降格とかではなく、相撲人生の全てを諦めたのです。相撲界からの引退は、お相撲さんにとって切腹です。横綱としての「品格」なのだそうです。こんな風にして、日本の国は戦争で多くの若者や沖縄の人たちを死に追いやったのだなあ、と悲しい気分になりました。司馬遼太郎が、「この国の心とかたち」で日本人について言いたかったことです。

政治家の場合でも、政治と関係ない個人的醜聞や小さな疑惑を理由に、議員辞職を求められます。自殺者も絶えません。そして、学術の世界も似たようなものです。研究不正や予算執行の不正の「疑い」をもたれた人は、公開の場や裁判で争うことなく辞職を求められます。そして科学者としての生命が奪われます。まさに切腹です。「品格」とか「潔さ」「けじめ」を求めることは権威や多数にとっては心地がいいものですが、問答無用の全体主義です。科学や技術は、このような全体主義とは相反するものです。多数に支持される常識を否定することによって、進化します。最近の日本は、その反論がやりにくくなっているような気がします。

日本社会は、失敗やミスを犯した人に対して寛容でありません。将来のある相撲取りや研究者や政治家を、失敗やミスを理由にその社会から抹殺します。裁判で争う人はほとんどいません。欧米の方がむしろ、同程度のスキャンダルやミスに対して寛容な気がします。

ナノフォトン社でも、小さな失敗や小さなトラブルが常に起こります。それらの問題に対峙して解決するのではなく、面倒だからと無理も道理で譲ってしまいがちにもなります。しかしリスク回避ばかりではベンチャーらしくないし、ベンチャー企業として生き残れません。相撲界という日本社会の縮図を見ていて、日本社会の寛容性とベンチャー企業のリスク管理について考えさせられました。

大陸間弾道ミサイルが発射された当日、相撲界のもめごとがミサイル発射のニュースを隅に追いやってしまいました。品格や義理、けじめも大切ですが、ナノフォトン社は世にない新製品の開発と製造・販売・サービスという「本業」をまず優先したいと思いました。

2017年12月1日
ナノフォトン株式会社
代表取締役会長 河田 聡