医学や生命科学の発展はさまざまな顕微鏡の発明が支えています。光学顕微鏡や電子顕微鏡の登場で細胞の存在や構造が明らかになり、2017年のノーベル化学賞も「溶液中の生体分子を高分解能で構造決定できるクライオ電子顕微鏡法の開発」に贈られました。では、ラマン顕微鏡の医学分野への応用は? 生体試料の測定に取り組む大阪大学大学院工学研究科の熊本康昭助教に聞きました。(メルマガ編集長・根本毅)

──ナノフォトンの技術顧問を務めていらっしゃいます。創業者の河田聡会長(大阪大名誉教授)とは知り合って長いのですか?

インタビューに答える大阪大学の熊本康昭助教

大阪大工学部の4年生だった2005年4月に、河田先生の研究室に配属されました。その後も大学院生、研究員として所属し、2015年から4年間は京都府立医大に出ました。今は河田先生の後任の藤田克昌教授の研究室にいます。

──ラマンに関して、どのような研究を?

ラマンに最初に関わったのは、学生の時の近接場ラマン顕微鏡です。ナノフォトンの先端増強ラマン散乱顕微鏡「TERSsense」につながる研究です。その後、博士課程の時から、紫外光で励起したラマン散乱の研究に携わりました。ラマンは基本的に信号が弱く、可視光や近赤外光では測定に時間がかかったり、たくさんある分子しか見えなかったりという問題があります。紫外光を使うと、共鳴ラマン散乱という現象を利用して感度良く分子を検出することにつながります。

紫外光が試料に与えるダメージをいかに減らし、いかに信号のロスなく検出するか。レンズや分光カメラ、光源などの装置をどのように組めばいいか研究しました。こうした研究の延長に、ナノフォトンの紫外・深紫外ラマン顕微鏡「RAMANtouch vioLa」があると思っています。

──紫外光を使うメリットは他にもありますか?

物質に光を当てると、散乱光より強く発光が出てきます。見たいラマン散乱がちゃんととれない問題が生じることがあるのですが、紫外光を励起光として使うとラマン散乱と発光の波長をずらすことができます。他にも、波長が短いため、半導体の表面だけを分析する時に都合が良かったり、空間分解能が良くなったりというメリットがあります。

──生体試料の研究についてお聞かせください。

博士論文のテーマが生体の深紫外ラマンでした。ラマンや深紫外の応用研究がしたくて京都府立医大に行き、細胞分子機能病理学の研究グループで末梢神経を検出するためのラマン分光装置の開発に取り組みました。ラマンの医療応用は、日本ではそのグループが先駆者として始めていた感じで、その他にはほとんどやられていませんでした。

──末梢神経の検出とは?

例えば、がんの摘出手術では、がんの周りの重要な組織を切らないことも大切です。その重要な組織の一つに神経がある。神経と他の組織を見分ける方法は今でも目視が一番多いのですが、神経の細さが1ミリ以下になると血管や結合組織などとの判別が難しいそうです。手術中にラマンを使って神経と類似する組織を組成の違いで判別できないかと研究し、判別は可能になりました。今も臨床応用に向けた研究開発を進めています。

組成が違う物をラマンで判別できるという事実は、医学に限らず重要なことです。ラマンというと、スペクトルのピークがシフトするとか、消えるとか、はっきりした違いがあることを期待して使うことが多かった印象です。一方、神経の判別では一見、スペクトルが同じにも見えます。しかし、スペクトル解析を使って分析すると9割以上の正確性で神経とその他の組織を見分けられるようになりました。ラマン分析の網羅性を生かしたこういう使い方は、特に応用分野ではメジャーではないと思います。

──今はどんな研究を?

ラマン顕微鏡の高スループット化を図っています、たくさんの細胞をできるだけ早く分析するというような装置の開発です。ラマン以外にも、紫外光の分光イメージング法の開発に取り組んでいます。ラマンほど得られる情報は多くありませんが、効率がいいため速さのメリットがあります。紫外というとダメージがあるのではとよく聞かれますが、照射光量は少ないため実はダメージも出にくい。ラマンと紫外の両方からアプローチしています。

ラマンの大きなメリットは二つあります。一つは、網羅的に見られること。検出感度を上げていけば、原理的にはラマンスペクトルには試料に含まれる分子全ての情報が含まれているはずなんですね。紫外は吸収があるものしか見られないとか、どうしても限りがある。もう一つは、ラマンの方が微量な分子の構造変化などを反映して、スペクトルが変化してくれる。例えば、分子の酸化還元状態の変化もしっかり把握できます。

──他にも医療応用の研究をしていたら教えてください。

京都府立医大と北海道大と共同で、脂肪肝の測定をしています。脂肪肝にもいろいろあるのですが、その評価や病気の進行の予測などをラマンでできるのではないかと期待しています。動物実験のレベルですが良い結果が出ており、ラマンが脂肪肝の治療に将来役立つかもしれません。

今の医学は、基本的に病理画像を見て形態的な異変があるかないかで診断しています。しかし、形態的な変化は最後で、その前に機能の変化や分子の変化が起きています。その変化をラマンだったら読み取れる可能性があります。

──ラマンの面白さって何でしょう?

分子や物質そのものを見ているところですね。蛍光標識をたんぱく質につけて細胞内の位置を見ることがありますが、ラマンの場合は直接、分子の情報を得ます。「この分子を見ている」と言える。そういうところが面白いと思います。

私は装置開発をしていますが、性能をもっとよくできると感じています。分解能を上げるとか、速くするとか、検出感度を良くするとか、ここだけを伸ばしたいと特化したら、今まで取れなかったデータを取れるようにできると思います。ラマンにはまだまだ可能性があります。

【編集後記】
阪大の熊本さんへのインタビューで、ラマンの面白さをお聞きした時の言葉が印象的でした。「分子や物質そのものを見ているところ」。私なりに、その言葉を次のように解釈しました。街を歩く人たちを観察する時、蛍光染色では1人1人が同じ点にしか見えないが、ラマンなら身長や性別などそれぞれの個性が分かる。そう考えると、確かに面白そうです。(メルマガ編集長・根本毅)