今回は大阪大学大学院工学研究科の藤田克昌教授を訪ねました。藤田教授はナノフォトン社を生んだ河田聡研究室の出身です。ラマン顕微鏡のバイオへの応用や最新の研究についてうかがいました。(メルマガ編集長・根本毅)

──河田研やナノフォトンとの関わりを教えてください。

インタビューに応じる大阪大学の藤田克昌教授

大阪大学の応用物理学専攻で学位を取得した後、京都府立医科大学で博士研究員をし、2002年に大阪大学の助手として着任しました。その時に、生体の細胞試料を染色せずに観察できる顕微鏡を作ろう、というテーマで研究を始めました。試料の染色は薬品で処理をして変えてしまうということですから、出来ればやりたくない。そこで、第2高調波発生(SHG)という現象を利用して、特定のたんぱく質が並んだ状態を観察できる顕微鏡を作りました。製品化されたのがナノフォトンの製品第一号の第2高調波顕微鏡「SHG-21」です。

SHGは特定の構造の分子に近赤外の光を照射すると波長が半分の光が出てくる現象で、ミオシンやコラーゲンが観察されます。例えば、コラーゲンは温度を上げると曲がりますが、そのような変化を染色せずに観察できます。

──当時、SHG顕微鏡は研究者の間でどのように受け止められたのでしょう。

無標識で見られるのはいいが、観察できる対象が限られているので、広くは普及しないなという印象でしたね。

──SHGの後にラマンの研究を?

はい。ラマン散乱を利用しても、染色せずに細胞を観察できます。2004年から研究を始め、ナノフォトンと連携してラマン顕微鏡を開発しました。画像を撮る速度を一気に数百倍にできたため、2008年の論文で、ゆっくり動いている細胞を撮影できると初めて示しました。がん細胞が分裂する様子です。

さらに、シトクロムcというたんぱく質を感度良く観察できることが分かり、論文で発表しました。当初は何が観察されているのか分からず、実験結果を理解するのに時間がかかりました。シトクロムcはミトコンドリアにあり、細胞の自殺である「アポトーシス」が起こる時にミトコンドリアから出てきます。アポトーシスの最後の引き金を引く信号になります。

シトクロムcがミトコンドリアから出て行くことは、蛍光染色の実験で知られていました。しかし、標識せずにシトクロムcの動きを観察したのは私たちの成果が初めてです。

また、シトクロムcはミトコンドリアで電子の受け渡しをしていて、酸化型と還元型の2つの状態をもちます。普通の蛍光染色では分子の位置が観察されますが、酸化還元状態の区別はできません。しかし、ラマン散乱を用いるとスペクトルの違いでそれらを区別できます。私たちの結果では、酸化還元状態の変化が起こらずにミトコンドリアから出て行くということが分かりました。

2012年の論文でしたが、アポトーシスという細胞の機能がラマン散乱を使って無標識で観察できたということが一番のインパクトでした。それまで、ラマン散乱は信号が弱くて、測定に時間がかかり、使うのが難しく、顕微鏡でうまく撮像ができるとは誰も思わなかったのですが、高精細な画像を示すことができたため、バイオロジーの役に立ちそうだという印象を与えることができました。この論文の後に、生物学や医学の分野の研究者から「こんなことも見えないか」などとかなり声をかけてもらいました。

──バイオへの応用はこの論文をきっかけに広がったということですか?

広がったと思います。私たちの論文の中では、この論文が一番認知度が高いと思います。

──具体的にどのような応用研究がありますか?

私たち自身の研究では、薬物への細胞の応答を観察することに使用しています。ミトコンドリアが機能障害を受けるとラマン散乱のスペクトルが変化するため、無標識かつ高感度に細胞の活性の変化を捉えられます。他には、がん細胞と非がん細胞の識別だったり、さまざまな細胞に分化できるiPS細胞やES細胞のスペクトルを測定して分化したかどうか判定することを目標とした研究などを行っています。

──藤田教授は顕微鏡開発や光計測が専門ですが、ラマン散乱を利用しているのは何故ですか?

何を見たいかによって、どんな顕微鏡を使えばよいのか違います。形を見たいだけならラマン散乱の他にも方法があります。特定の物質を見たい場合はラマンでもなかなか難しくて、観察対象に蛍光分子をつけて観察します。しかし、もっと複雑な、細胞の種類や、分化の様子、活性状態を分析しながら見るとなると、分光学が有効になります。

──最後に挙げた複雑な状態が見たいのですね。

そうです。それを見る顕微鏡がありませんでした。研究の目的は、不可能を可能にすることです。そのために物理的な理論研究もしますし、オリジナルな実験装置も開発します。開発した装置の応用例を示すところまでが目標です。ラマン散乱光のスペクトルは物質の情報を与え、顕微鏡による画像は空間分布を与えるものですが、両方の情報をきちんと取れる「ラマン顕微鏡」は世の中に存在しませんでした。

ラマン顕微鏡の開発や応用研究を続けていると、さまざまな可能性が出てきました。がんや分化状態の識別への利用は、違う分野の研究者たちと話をしながら進めてきました。複雑な生命現象を理解するには、これまでの方法で十分では無く、そのために研究が行き詰まっている面もあります。

──例えば?

今までの方法ではiPS細胞などの分化状態を細胞を傷つけずに評価することはできませんでした。特定のたんぱく質を染色して、その量を見たら評価できますが、染色した細胞は再生医療や創薬研究には使えなくなってしまいます。無標識で物質の情報を取得しながら細胞や生体を評価する方法として、今、ラマン散乱の活用が大きく注目されています。

──生物学でのラマン顕微鏡の利用は広がっているのですか?

徐々に広がっていますね。論文もうなぎ登りで増えています。「ラマン」と「細胞分析と診断」で論文を検索すると、この20年で10倍にはなっています。

──今、どんな研究をしていますか?

標識した分子をラマン散乱を使って観察することを試みています。ラマン散乱は分子を染色せずに分析できるのですが、標識技術との組み合わせでこれまで観察できなかった分子が観察できることが分かりました。従来の技術では、標識に利用する蛍光分子が大きく、小さな分子に付加すると、その分子の機能が変化してしまい、観察する意味が無くなってしまいます。しかし、ラマン散乱で検出する分子振動は原子が2個あれば生じるので、とても小さな分子を標識に利用できます。例えば、アルキンは炭素と炭素の三重結合を持ち、生体に含まれる分子とは異なるラマン散乱光を生じます。観察したい分子をアルキンで標識し、細胞内に入れると、その分子が細胞内のどこに行くか、どういう使われ方をするか観察できます。この技術は、私たちのグループが最初に発表し、それを利用した研究が広がっています。

──未開の地がまだ広がっていますね。

はい。私たちが研究しているのは、まだビジネスとしては成り立っていない内容ばかりです。バイオの分野では、分光学が十分には活用されてこなかったと思いますし、ラマン顕微鏡の高速化や高感度化、高解像度化など装置面での改善によりラマン分光法の応用がさらに広がります。装置開発についても注力しています。

【編集後記】
私は大学院で生物物理学を専攻していたため、藤田教授の話をとても興味深くお聞きしました。現役の研究者の方は「こんなことができるかも」といろいろと考えたのではないでしょうか。これからも不可能を可能にする挑戦に期待しています。(メルマガ編集長・根本毅)