2006年9月のメッセージ
大学発ベンチャー1000社の運命

先週、4回目の「平成洪庵の会」を開催しました。今回も5人の方に話題提供をして頂き、いつものように大いに盛り上がりました。お話しいただくテーマはそれぞれ全く自由なのですが、今回は大学発のソーシャル・ベンチャーの話が3件もありました。大学院生が高校生や中学生にバイオテクノロジーを実験して教えるサービスをビジネス化した学生起業家の丸幸弘さん(いまは博士号取得、(株)リバネス代表取締役)は、日本のバイオベンチャーの社長の平均年齢が55歳であると指摘しました。彼の会社の社員の平均年齢は28歳だとか。なるほど、少年達に理科に興味を持たせることができるのなら給料なんか少なくたって構わない、と言えるのは若者です。養わねばならない家族のいない若い人なら、夢を食ってでもアルバイトをしてでも生きていける。ベンチャーは若者が挑戦するもの、と改めて納得させされました。

障害を持つ人たちの仕事を探していろんな挑戦をしてきた福井由美子さん(元河田研秘書)は、都心部の働く女性向けに有機食材のお弁当サービスをビジネス化しました(http://www.ippo-project.com/)。とてもよく考えられたプロジェクトで、ソーシャル・ビジネス・プランの賞も受賞されました。FRCの元スタッフでやはり身障者を支援するパンの製造(正確にはパンじゃないけれど説明できません)と配達サービスを目指していた中山菜穂子さんも手伝っています(http://hokkama.com/)。障害を持つ人達に経済的援助をするのではなく、彼等が必要とされ彼等が得意とする仕事を探す彼女達の発想は素晴らしいと思います。

ビジネスとは、金儲けのためにだけやるのではなく、社会のためにやるのであることは、明らかです。誰も必要としない製品を作っても、誰も必要としないサービスを提供しても、収入は得られません。社会が必要とする商品やサービスだから、お客さんは対価を払ってくれてるのです。だから、ビジネスとは社会貢献だと思います。ところが、いまのベンチャー起業家には、国からの助成金を集めたり投資家から金を集めることをビジネスモデルだと考えている人たちがいるように思います。なぜか、国もそれを支援するのです。

文科省にインターンシップに行った学生のひとりが、大学発ベンチャー1000社をもっと増やして、それらを成功させるためにはどうしたらいいでしょうか、という質問をしました。マスコミも官僚も大学発ベンチャーの「数」を議論しますが、何故「数」を増やさなければならないのかの説明は全くありません。アメリカよりも日本の方が大学発ベンチャーが少ないということぐらいが、理由(理由になっていない)なのでしょう。

この風潮に、私は批判的です。ベンチャーに限らずビジネスとは、国やメディアがけしかけることではないと思います。人が社会に役に立ちたいと思い、社会がそのサービスを求めたときに初めて、ビジネスが成り立ちます。ニーズとシーズ(サービス)がぴったりとフィットすれば、起業は成功し、金儲けができます。金儲けをすると税金が支払われて、新たに人が雇用され、世の中の役に立ちます。金儲けをして何が悪いとうそぶくムラカミさんやホリエモンに正義があり、金儲けを悪とするいまのマスコミの風潮は、税収の不足と失業率の増加を生みます。

だけど最初は金儲けでなくて、世の中に役に立ちたいとか町の人が求める商品・サービスを提供したい、という思いから始まるべきだろうと思うのです。そしてそれを実現できるのは、家族やプライド等のしがらみのない若者なのかもしれません。その意味で50歳を過ぎてビジネスを始めた私には、成功はないような気がしてきました。

さて話を戻して、どうしても国が大学発ベンチャーに関与したいのならば、大学発ベンチャーの「数」をさらに増やす政策ではなく、起業の後に倒産するベンチャーに対する支援ではないでしょうか。ベンチャーの9割は倒産すると言われています。ベンチャーとはリスクのあるビジネスです。アメリカでは、3回失敗した人でないとベンチャービジネスを成功させることはないと言われています。支援をするからと大学人をそそのかせて1000社も大学発ベンチャーを作らせながら、そのうちの10社か20社が成功すれば十分だと、官僚達は言います。残りの990社は多額の借金を背負って、失業者を産み出し、社会から指差され、どの様に生きていけばいいのでしょうか?国は、むやみに助成金を蒔いてニーズを知らず商才のない大学人に1000社も起業させるのではなく、リスクを負ってでも社会に貢献したいと自発的に立ち上げたベンチャー会社に対して、倒産の危機に支援をするべきだと思います。支援のタイミングは創業ではなく、倒産の危機です。

阪大FRCが作ったNPO法人FRAで、社会に向けてeラーニング事業を始めた坂井均也さんは、FRe大学の成功物語と題して自身の経験をお話下さいました。脱サラ(この言葉は年配の人には懐かしく受け、若者には通じませんでした)して30年にわたって苦労してやってきた民間教育ビジネスが、eラーニングの技術革新と社会の意識改革のお陰でいま開花しつつあるお話は、皆に感動を与えました。2時間前までは、丸さんや福井さんのような若者でなくては新ビジネスは始められないのと諦めていた私たちに、坂井さんの長い経験に培われたビジネスモデルのお話は大いなる勇気を与えてくれました。若さとは、人によって異なります。実際の年齢が55歳であっても、30歳よりも志の若い人はたくさんおられます。子育てを終えた団塊の世代の方が、むしろしがらみなく新しいことに挑戦できるかもしれません。社会が求めることで社会に貢献する、そして金を儲けて税金を払い雇用を生む、そのスピリッツが大切なのでしょう。

長くFRCの経営企画役員をして頂いた西村吉雄さんは、WEB2.0についての考え方や未来をお話下さいました。丸さんのビジネスも福井さんのビジネスも坂井さんのビジネスも、みな社会との共同編集ビジネスだと思います。一方的に商品を売りつけるのではなく、社会の声を聞いて社会が求めるものを提供していく、企業から顧客への押し売りではなく、みなでビジネスを作っていく、まさにWEB2.0文化なのです。この平成洪庵の会もまた、主催者はおらず講演者もおらず、メンバーが話題提供をしながらこれからの社会を語り合うWEB2.0型の集まりでありたいと思います。

会の最後に、ロボカップの実行委員長の浅田稔さん(阪大教授、この会合の発起人のひとり)が、ロボット研究のお話をして下さいました。ロボットとはガチガチの機械でありハードウエアであると思っていたのが、ロボット研究とはじつはヒトの研究であり、柔らかい科学だと知りました。最先端の科学技術を社会の人に分かりやすく怖がらせることなく話すことはとても大切なことであると、改めて学びました。

今回は、第4回平成洪庵の会の様子をご紹介しました。夜の懇親会(これがメイン?)で、適塾記念会の理事で「適塾の謎」などの著書のある芝哲夫先生(阪大名誉教授で、蛋白質研究奨励会ペプチド研究所長)が、福沢諭吉や緒方洪庵が生きておられれば、きっとこの会合に参加して喜ばれたことでしょう、と言ってくださいました。緒方洪庵の適塾の志を少しでもまねて、新しい日本の維新の呼び水になればと、気負った名前を勝手に付けた発起人達は、まさに感無量の思いでこの言葉を聞きました。

学生も教授も研究科長も名誉教授も、社長も会社員もフリーターも、みなが同じテーブルを囲んで、わいわいがやがやと盛り上がる、この身勝手な集まり「平成洪庵の会」にいつもいつも参加して下さる皆さん、今回もありがとうございました。SK