世の中には、要らないもの、無くても困らないものがたくさんあります。
たとえば「センター入試」。私が大学受験した頃には、こんなものはありませんでした。それでもなんの不都合もありませんでした。それぞれの大学が、それぞれ好き勝手に入試問題を作っていました。大学ごとの個性がありました。センター入試(当初は共通一次)ができて、合格しそうな大学を事前に受験生が判断できるようになったという意見もあると思いますが、それは行きたい大学や学部を選ぶのではなく、合格しそうな大学を選ぶという発想です。その結果、大学や学部のランキングができあがってしまいました。当時は官営の入試センター試験はありませんでしたが、民間の塾・予備校がそれぞれの大学の試験問題を模した模擬試験がありました。「そもそも」なぜセンター入試ができたのでしょうか?
「運転免許」を更新するためには、交通安全協会で安全講習を受ける必要があります。この講習を受けて、事故が減るとは思えません。事故を減らしたければ、安全協会の元警官達が道路に出て、駐車違反や信号無視を取締った方がずっと効果的です。「そもそも」なぜ交通安全協会ができたのでしょうか?
温泉に行きたければ、ホテルや旅館に泊まります。ところが郵便局が、契約者から集めた簡易保険のお金で「かんぽの宿」をたくさん作りました。それを売却しようとしたら、アルカイダの友達の友達という自民党の大臣が、強権発動して取りやめとなりました。「そもそも」なぜかんぽのお宿はできたのでしょうか?
大学や役所では、本来は「手段」であったはず規則のほとんどは、いつのまにか「目的化」してしまっています。私が勤める大学では、とても不思議な規則がたくさんあります。「出張をするときには、出張先でコンビニに立ち寄って買い物をしなさい。そしてそのレシートを持って帰ってきて、大学に提出しなさい」という規則があります。「そもそも」なんのためにコンビニに行って買い物をしないといけないのでしょうか?カラ出張防止のための積もりなんでしょうか。この規則を思いついた人はきっと、カラ出張をしてきた人なんでしょう。だからこんなに妙な制度を思いつけるのでしょう。
研究者や教授は、何のために出張しているのでしょうか?様々な学術会議に出たり、研究打ち合わせをしたり、調査をするために出張するのです。大学の規則に従えば、出張の目的は「コンビニに買い物に行くこと」になってしまいます。本来の「目的」の本務が消えて無くなり、証拠を集める「手段」が目的化してしまっています。全くばかばかしいことですが、大学は全ての教員にコンビニの領収書集めを義務づけました。コンビニに買い物に行く暇もないしコンビニで無駄使いをする気もない私は、徹底的に抵抗してこれを提出しませんでした。人事からは、目の敵にされていることでしょう。ところが、先日「コンビニのレシートは無効だ」という通達が同じ人事から新しく出されました。当たり前です。レシートなど、誰かに頼めば得られるのです。チェックをするのなら、講演会のプログラムや研究打合せの相手の手紙などを求めるべきです。それにしても、全ての人の出張を毎回疑う人は、とても哀しい人です。飛行機で出張するときにはチケットの領収書やネットでの搭乗記録は信用せず、搭乗券の半券の提出を求められます。仕事はしなくても搭乗券の半券さえあればいいのです [1] 。
もうすこし、「そもそも」論を続けます。
名古屋市長が、市会議員の給料を1600万円から800万円に下げようとして市議会と対立し、市議会のリコール活動をしています。「そもそも」市議会って必要なのでしょうか?市長は、最高投票数を得た人が選ばれます。しかし、市会議員はそうではありません。40人が立候補して30人が当選するならば、30番目の当選者は、落としたい方から11番目の人です。もし30人が当選するなら、一人当りを平均して、投票した人の3%(1/30)の支持しか得ていないのです。すなわち不支持率が97%です。これは、中選挙区や比例代表制選挙にもあてはまる議論です。
「そもそも」市民に選ばれた市長と市役所職員がおられれば、市会議員は必要ないかも知れません。アメリカでは、市会議員の人数はとても少なく、給料と言うよりも手当程度です。戦後に作られた日本の地方自治における二元代表制は、「そもそも」正しい制度だったのでしょうか。
大阪では府知事が大阪市無用論を展開しています。大阪府と大阪市の二重行政が無駄だから、東京都23区のように府が直接統治をして、大阪市を廃止しようというわけです。東京も第2次世界大戦までは東京府と東京市がありましたが、戦時中に東京都に統合されたのです。二重行政の無駄を無くすには、「そもそも」大阪府が無用なのか大阪市が無用なのか、よく考えてみる必要があります。とくに大阪府では堺市も政令指定都市であり、府が本当に必要なのかどうか分からなくなります。
「そもそも」という言葉は続日本書紀にも出て来ます。古くからある日本語です。土佐日記や好色一代女にもでてきます。物事を初めから説き起こすときに使う言葉です。でも、物事を初めから説き起こされると、普通の人は疲れてしまいます。成り行き任せで長いものに巻かれて生きる日本では、この言葉を使う人は論理的すぎて面倒がられます。「手段」が「目的化」してしまった制度に対して、先に述べたように「そもそも」論を持ち出せば、皆は面倒がることでしょう。
さて、そろそろ今月の本題に入りましょう。
「そもそも」地検の特捜部って必要なのでしょうか?これまでにも、私は地検特捜部問題をこのサイトでも何度も取り上げました。2003年3月のメッセージでは、東京地検特捜部に捕まった江副さん支援のメッセージを書いています。リクルート事件については、江副さん自身が「リクルート事件・江副浩正の真実」(中央公論)が8月に新書版化して出版されていますので、そちらをお読み下さい。
国家転覆を謀るテロリスト集団や外国のスパイを取り締まる組織は、アメリカではFBI(連邦捜査局)として知られています。日本では戦前は「特高(特別高等警察)」、いまは「公安警察」です。この公安が国の治安・秩序の維持を目的としているのに対して(それを逸脱したケースは多くあるが、それも含めて政治的な警察)、「地検特捜部」(地方検察庁特別捜査部)は、一般市民を取り締まる組織です。「そもそも」そんな恐ろしい組織が、この国に必要なのでしょうか?地検特捜部の危険性は、三権分立の原則に基づいて立法・行政から独立していることにあります。すなわち、国民が選んだ政治家を、国民の合意無しに一方的に捕まえることができるのです。実際、現職総理大臣である田中角栄さんを東京地検特捜部が逮捕したり(ロッキード事件。16年間に及ぶ裁判において有罪にはならず、無所属で国会議員を続けました)、やはり東京地検特捜部が自民党参議院幹事長の村上正邦さんを身代わり逮捕したり(KSD事件)、最近では総理大臣候補のオザワさんを強制捜査したり(結果は2回不起訴)、大活躍です。政府高官の逮捕は新聞がよく売れますから、新聞社は、特捜部からのガサネタ(リーク情報)を事実の如く書き、逮捕にむけての世論誘導をします。特捜部の人達が舞い上がって思い上がってしまうのは、マスコミの責任が極めて大きいと思います。
アメリカのように、検察の人達も公選で選ぶべきです。国民が選んでいない特捜部の人達が国民が選んだ政治家を犯罪者に仕立てる、「そもそも」そんな特捜部が必要なのでしょうか。
政治家を捕まえている限りはまだ、検察官の思い上がりであるにしても、それは正義感によるものかもしれません。恐ろしいのは、一般市民を捕まえようとすることです。テロやスパイとは無関係な世俗な人達です。生意気だったり目立つ人を捕まえようとします。ホリエモンやムラカミさん、もっと驚くのは野村沙知代さんです。なぜ地検特捜部が野村沙知代さんを狙ったのでしょうか?小室哲哉さんを捕まえたのも警察ではなく地検特捜部です。
こういった事件は民事事件として被害者が訴えればよいのであって、地検特捜部の検事達の仕事ではありません。アメリカのFBIは国家転覆を謀りテロリストやスパイを捕まえますが、地検特捜部は生意気な市民を捕まえます。そのほとんど全てが、自白だけを証拠として立件するのです。その結果、田中角栄さんの場合を含めて地検特捜部が逮捕した被害者(被疑者)は、まず有罪にはなりません。
地検に逆らう人もまた、捕まります。有名な事件は、ロッキード事件を追いかけていた毎日新聞の西山記者、最近では大阪地検を内部告発した三井検事です。西山記者や三井検事のように逮捕者が正義心の塊であると裁判は非常に長くなりますが、全てが冤罪として無罪を勝ち取るわけではありません。特捜部は、善良なる日本の一般市民にとって危険な存在になりつつあります。
「そもそも」民主国家の日本の国民は、今のような地検特捜部を必要としているのでしょうか。今年3月に開いた「平成洪庵の会」のチラシに、私は次のような案内文を載せました。
ー第11回平成洪庵の会・ご案内ー
ニューヨークタイムズの記事から。「日本の検察は、米国やその他の西側民主主義の司法制度とは何か違った権力らしい。日本の検察庁は誰に対しても何時でも調査をすることができ、疑惑が明らかでなくても何週間も拘留したり逮捕してもいいらしい。日本の検察は、警察と法務大臣に加えて裁判官としての権力まで与えられている。日本の検察官は超難関の司法試験に合格した若い学生達から選ばれる。彼等は、彼等にとっての容疑者のオフィスや自宅を突然襲撃し、家宅捜査をする。ダークスーツを着て軍隊のように行進し、彼等の仲間である記者とカメラマンは事前に知らされていて検察が来るのを先回りして待つ。検察官は、メディアとの近い関係をエンジョイしている。だから今回の小沢氏の捜査に対しても、メディアは概ね捜査に好意的な報道を行ったのである。、、、」(河田訳)
安政の大獄や池田屋事件を想起させる最近の話題に、維新の再来を感じます。緒方洪庵の適塾でも、様々な議論があったことだろうと思います。平成の洪庵の会は、今年もまたいつもの場所で集まります。定員はいつもの通り40人です。
日時:平成22年3月6日(土)午後2-5時(懇親会は5時半から7時半)
場所:大阪大学中之島センター7F 講義室3
いつも平成洪庵の会に参加下さり、講演もしていただいた芝哲夫先生(阪大理学部名誉教授・適塾記念会理事・ペプチド研究所所長・「適塾の謎」著者)が、9月28日にお亡くなりになられました。平成洪庵の会の活動にいつも、「河田さん、洪庵はきっと喜んでいるよ」と言ってくださっていました。ご冥福をお祈りします。合掌。SK