授業がずっと嫌いでした。小学校から大学を出るまで、授業で先生に当てられるのがとても嫌でした。高校の時、教科書読みや質問を前から順に縦に生徒を当てていく英語の先生がおられました。ボクは一番後ろに座って、左右に列を移動して当たるのを逃げていました。その先生は視力が弱くて最後列の生徒の動きは見えなかったのです。授業で当てられるのがボクはとても嫌でした。
大学で助教授になって以来20年近く、学生に授業をしてきました。教える立場からも授業は嫌いでした。毎年毎年同じことばかり教えるのはとても苦痛、すぐに退屈してしまいます。高校や中学の先生にとっては、毎年どころじゃあない。毎週あるいは同じ日にすら同じ授業を複数のクラスに教えます。気持ちを張り続けることは大変だろうと拝察しています。私は、同じ内容の授業は2回目でもう力が入りません。授業に出席する学生も退屈で大変だろうけど、教える先生も退屈で大変なんだぞ!
毎回授業が同じでなければいいのです。出席する学生によって、質問の内容が違ったりムードが違うとやる気が出てきますが、私がそうであったように多くの学生達は教壇から離れたところに座り、先生からできるだけ距離をおこうとしています。前列に座った方が臨場感があって、講義内容が頭に入りやすいのです。コンサートで最後列に好んで座る人などいないはずです。
同じ授業を繰り返すのが嫌いな私は、色んな工夫をしました。自分で講義ノートを作ると毎年同じ授業になるので、人が書いた教科書を使うことにして、そして、教科書を毎年替えてみました。教科書を使うと出版社から献本していただけて、色んな教科書を集めることができました。そのうち、有名な外国の教科書の式の間違い(記号の間違い)が、どの日本語の教科書にも残っていることを発見しました。執筆者は自分で式を解いて教科書に書いているのでなく、外国の有名な教科書を写しているのです。あるいはそれを写した他の教科書をさらに写しているのでしょう。
同じ授業ばかりやるのは退屈なので、色んな科目を受け持ちました。私の専門分野だけではなく他の分野、たとえば自動制御なども教えました。大変だったけれど、かなり楽しみました。その後の研究にも役に立ちました。文系の学生向けの授業やら、小学生、経済人、高校生、企業の技術者達、そして市民への講演も、頼まれます。一回ずつ違う人に違うことを教えるためには準備も必要ですし、皆がちゃんと興味を持って聞いてくれるかとても心配です。退屈どころか緊張の連続で、とても楽しい時間です。
最近は出席の取り方に凝っています。私は原則的に出席は取りません。点呼を取るのは時間を食うし、まるで軍隊のようで嫌いなのです。事務から出席を取るように要求されても、点呼はしません。「出席を取る」という言葉は英語に直訳できません。外国にはそんな文化はないからです。授業は出たいと思う人だけが出ればいいのです。無理矢理呼び出して椅子に縛り付けても居眠りをするだけで、学生達は何も学びません。私の授業を聞きたいと思う学生だけが来てくれればいい、と思っています。出席せずとも家で勉強をして、試験でいい点数がとれればそれで合格点を出します。ライブで授業を聞きたい学生だけに出席して欲しいのです。
私の授業では昔から、最初の10分にquizを出します。quizとは英語ではとんち問題ではなく小テストのことです。最近では、この答えを受講生のそれぞれの携帯から、私のメールアドレスに送ってもらいます。授業に出てないと問題が分かりません。自分の携帯から回答しないと出席にはなりません。最初の10分にメールしないと出席になりません。先に述べたとおり別に出席などせずとも、試験でいい点数を取れば私の授業はいい成績が得られます。それなら出席など取らなくていいように思われるかもしれませんが、これは私と学生達とのコミュニケーションの取り方なんです。教壇の机に置いたiPadには、授業を受けている学生達から次々とquizの答えが届きます。ライブです。人によって答えが異なるような問題を出しています。この答えを見ながら、私の授業のストーリーができあがります。私の授業には教科書も黒板も要らない、でも携帯とiPadが必携なんです。
出席以外にも携帯とiPadを使います。授業の途中でも質問の答えを携帯で答えてもらいます。シャイな日本の学生も携帯では色んな考えを示してくれます。1人ずつ当てて質問していては時間が掛かるのが、携帯とiPadを使えば瞬時に様々な答えが揃います。授業のあとでは、宿題やレポートをメールで提出してもらいます。そのレポートに対する私からの返事もメールです。毎日毎週24時間、授業時間以外でも学生と私は繫がっているのです。互いのレポートを受講生の中でグーグルグループを使って公開したこともありますし、授業の予告や宿題はホームページにアップします。
「教室への携帯の持ち込み禁止」は時代遅れです。授業に携帯は必携なのです。最新のテクノロジーを使いこなすことによって、退屈な授業に新たな工夫を取り入れることができます。大学入試では電卓禁止、アラームつきの時計禁止、携帯禁止、電子辞書禁止です。バカじゃあないかと思います。最新の技術を使いこなすことができず、何が大学入試か。私の授業では全てOK。これをむしろ使いこなすことを求めています。レポートにWiki情報や他人のレポートのコピーペーストをすることが社会問題化しています。しかしこれは、Wikiをコピーペーストして答えられるような陳腐な授業や試験をしていることを自ら告白しているようなものです。人は文明を否定して成長することはありません。いかに文明を使いこなすのかが大切なのです。
いまもなお携帯電話を持つことに拒否反応を示す人がおられます。山中で仙人のごとき生活をされるなら携帯のない生活はすばらしいと思います。しかし都会の文明社会で働きながらひとりだけ携帯文明を拒否されると、周りはきっと迷惑していることでしょう。iPhoneやiPadを使ったこともなく使いこなすこともなく批判される人がおられます。もったいないなあ、かわいそうだなあ、と思います。審査会でプロジェクターでプリゼンするときの同じ資料(パワーポイント)を審査員の人数分だけコピーするよう要求する人達がいます。これからの時代は、資源を大切にして欲しいと思います。文明はもうすでに開花したのです。化石になるのではなく、生きて最新技術を使いこなしてみてください。今月のメッセージへのご意見はもちろん、携帯、iPhone、iPadなどからメールでお願いします。SK