住友金属と新日鉄が合併して、社名から「住友」の名前が消えるとのこと。住友と無関係な私にとっても、何となく寂しい気分です。日立製作所と三菱重工も、経営統合しようとしました。情報が早くリークされすぎたので今は否定していますが、さてどうなることやら。三洋電機の名前が無くなるのも寂しいし、かつて三和銀行や藤沢薬品など名門企業の名前がなくなってしまったことに寂しさを憶えた人も多いと思います。弱肉強食のビジネスの世界では、勝ち組は合併を繰り返し、負け組は消滅していきます。自然の摂理なのかもしれません。
ところが、このような大きな変化は日本人はなかなか受け入れることができません。本当の競争のない日本の社会では、大きすぎる変化・早すぎる変化を拒みます。民主党のマニフェストはあまりに急進すぎるchangeの提案だったので、マスコミと役所がこれを叩き潰しました。変化・changeには必ずriskを伴います。失敗が伴われます。いかなる失敗も恐い日本人。それぞれの組織や人にとって、変化は得をもたらすか損を与えるかの判断が難しいので、日本人はまずはとりあえず反対します。
合併せずに消滅せずにriskなくchangeを生む方法は、追加です。たとえば、日本の学会の数は一貫して増え続けています。追加の文化です。一度始めた学会・研究会は唯の一つもなくなりません。合併することもありません。ひたすら新しい学会が増え続けるのです。学会の中の分科や研究グループも増え続けます。民主党が全て廃止すると言った独立行政法人という組織も、民主党が政権を取った後もまったく減りません。省庁を超えて同じような「独法」が幾つも平行して存在して、天下り先の温床だと批判されてきましたが、増えることはあっても廃止されることはありません。
若者の人口が急減しても、大学の数と学部や学科は増え続けています。もう遙か昔にその歴史的な役割を終えただろうと思われる学部・学科や研究所が無くなることはなく(名称だけを変えたり、見せかけの再編でごまかします)、新しい学問の学科や研究科が作られます。その結果、日本の大学の学部の数は増える一方です。
限られた面積しかない土地に新しい建物を建てるときは、古い建物を倒して新しい建物に建て替えます。「スクラップ&ビルド」です。町全体を新しく作りたいときは、古い建物や道路を壊して再配置をして、「再開発」します。シュンペーターの「イノベーション」とは、「創造的破壊」です。
でも、人で構成される「組織」のスクラップ&ビルド、再開発は、とても難しい。だからスクラップすることなく、組織の数は増え続けます。減らさずに、増え続けます。道州制や政令指定都市の区の設置は、組織数を増やします。そこで働く役人の数を増やします。道州や区はもちろん、都道府県すら要らないかもしれません。道州制も都道府県も無くして、日本国中を昔の藩制に戻して300の基礎自治体だけにしようというオザワさんの提案は、もっとも合理的でした。大阪府のタレント知事に潰されしまったのはまことに残念でした。
ある学会の委員会で、年次会に全分野に口頭発表に加えてポスターセッションを導入しようという改革案を提案しました。国際会議はもとより日本のほとんどの学会でも行われていることです。ところが、強い反発を受けました。理由は様々でしたが、要するに変化に対する拒否反応です。1年かけて周知徹底してからにしてくれという意見まで出てきました。科学者は、結果をだれよりもより先に発表しなければなりません。誰かが発表した後なら、もはや発表の価値はないからです。科学者なのに、できるだけゆっくりと行動し誰よりも後に動こうという発想に、驚かされました。分科のメンバーに説明できない、説得できないという意見もありました。自分の任期が終わってからにしてくれと言うことなんでしょう。「会議が嫌い」というエッセイまで出している私ですが、辛抱強く4時間休憩なしで会議を続けて、最後は皆さんに認めていただくこができましたが、日本では科学者までがchangeを拒み、伝統(惰性)でもって行動をすることを知らされました。その一方で、会議の中で学会と科学を縦割りする分野の分類の中で統合の提案がありました。統合なく新しい分類が増え続けてきた歴史の中で、英断を下す科学者がおられたことに救いを感じました。
「意志」を持たない社会では「エントロピー」は増大するというのが、自然界の大原則です。「進化論」はこの原則に矛盾します。だから私は進化は「神の意志」が働いていると考えます。いずれにしても、組織の数が増え続けて止めること減らすことができないのは、「惰性」に支配されて「意志」のない社会です。戦後の日本はこの「カオス」状態にあり、意志による「秩序」が主導権をとれてないのです。
新しいソーリが今回、大臣を選ぶ基準は当選回数だったように見えます。何年も国会議員をしていると、一般社会から遊離してしまい現場感覚を失います。その結果、議員が職業化して議員を続けることが目的化してしまい、落選が恐くなります。そこから惰性が生まれて、現場感覚がなく変化を拒む国会議員が育ちます。首長と同じように国会議員の多選を禁止しなれば、小選挙区制は機能しません。野党になっても直ぐに政権与党に戻りたいと思いようになり、折角の現場経験のチャンスを雨書く使えずに、与党批判の政治ばかりに時間を費やしてしまいます。
さて、本論。
惰性はダメです。変化を恐れてはダメです。エントロピーが増大するのは、理性と意志の欠如です。今月のメッセージももう10年近くになります。書いた数はなんと110!これは、伝統となり惰性になる。そろそろスタイルを変えなくては、、、。SK