産学官連携の公開のシンポジウムに出ました。日本の大学は日本の産業の役に立っていないという産業界からの強い叱責がありました。日本の大学と企業との産学連携の現在の状況をどの程度正確に把握しておられるかは分かりません。しかし、熱い思いは伝わります。元気のない日本の産業界への注文もありました。そして、フロアからは官僚と役所への厳しい批判。みんな、不満が溜まっているんだ。
講師の先生方やパネリストの方々はそれぞれに、今の日本の産業の難局を乗り越えるために、日本の大学はどうするべきかを熱心に説かれました。総じて、日本の産業と大学と官が手を携えて、オールジャパンでやっていくべきだとのお話でした。
でも、何か違うんだなあ。
経験者たちが「こうあるべき」とか「こうすべき」と熱っぽく語られても(あるいは語れば語るほど)、現場との意識はずれていく様な気がします。若者は言うことを聞いてくれません。「産学連携をやらなければ日本は生き残れない、産学連携をやりなさい、やるべきです」と言ったら、現場は多分「嫌です!」で終わりでしょう。役所も「産学連携をやりなさい。そうでなければ研究費は与えません」と脅します。しかしそのような圧力の中から、優れた産学連携が生まれるとは思えないのです。
無理矢理はうまくいきません。無理矢理の「べき」論が、今の日本人の元気をなくす本当の理由ではないだろうかと思います。「人材育成」という上から目線の発想に、若者の心は冷ややかです。科学技術立国、理系離れ、冒険心がない、留学しない、、、。お説教・小言は、若者の元気を奪います。
もっと、みんなを褒めてあげませんか。そしてみんなに任せてみませしょう。そうしたら、もっと日本も元気になれるはず。
組織の上からの規則や通達がなくても、自らの意志で産学連携や大学発の起業が始まるように、考えてみて下さい。説教、押し付け、強制、脅しは全部逆効果です。「起立して君が代を歌え」と強制すると、ひとは君が代が嫌いになります。しゃがみ込んでしまいます。それが人間なんです。言うことに従わせるための助成金は、もっとダメ。金の切れ目が縁の切れ目になって、成功しません。
もっともっと、みんなに任せましょう。まかせても現場がその気になるようにするにはどうすればいいのかを、考えてください。
「べき」論で思い出すのは、1969年です。今、日経新聞の電子版で盛田隆二さんの連載小説「いつの日も泉は湧いている」が進行中です[1]。紙媒体では読めない記事です[2]。私の世代の人は必読です。今年の2月のメッセージで紹介した「高校紛争:1969-1970年」と同じ時代の、同じテーマの物語です。
小説は、ベ平連、新宿フォークゲリラ、フランスデモ、受験生ブルース、安保粉砕、などなど私の世代が総括(!?)しきれていない言葉で満載です。新聞部に入部したごく普通の学生がだんだん追い詰められて行きます。当時の人たちがこの紛争の総括をしきれていないことが、今の日本社会と日本人のずるさを生んでいるように思います。当時、文部省は高校生が「生徒心得」を遵守するようにと、高校に通達しました。「べき」論です。感受性の高い年頃の高校生は、どうして制帽を被らなければならないのか、どうして髪の毛は肩より長くてはいけないのか、どうして高校生は政治の話をしてはいけないのか、どうして集会を開いてはいけないのかと、先生方を問い詰めます。高校の先生もまた悩むのです。今も構図は変わりません。
もっと現場に任せればよかったのに、と思います。
そうすれば、普通の高校生は自分たちで物事を考えて判断して、そして自分たちで答えを見つけただろうと思います。先生方も、自分たちの意志と言葉で高校生と対峙することができただろうと思います。でも当時の文部省はそれを許しませんでした。「べき」論が純粋な心の高校生の自尊心を傷つけ、機動隊が紛争解決の手段として用いられました。個人の自由と個性を抑圧する社会、それに諦めてしまう日本の社会がその時に作られてしまったように思います。中国の天安門事件の解決手段とその後の中国の抱える問題は、日本の1969年とその後と同じ悩みではないでしょうか。総括ができないままに来たという意味において。
もちろん、そのなかでも自由に生きる人はおられます。個性豊かな人もいます。ただ、社会全体に当時の反省がないので、今なお後進国並(死語?)の規制社会が日本に続いてしまったのだろうと思います。産学連携をするべきでないという意見と産学連携をするべきであるという二つの意見に、私は余り違いを感じません。どちらも現場に任せない意見だからです。どうしたら、強制することなく現場が嬉々として産学連携を始めるだろうか、あるいは産業に引っ張られることなく学問に熱中することができるだろうか、を考えてみましょう。
原発即時廃止の可否も似たような議論です。どちらにも一理あるのです。マスコミと政治家は二者択一をしたがりますが、どちらが正しいかは時と場所と状況によって異なります。「原子力発電はすぐに辞めるべきだ」と声高に叫ぶ政治家や評論家は、どうすれば現場や国民に強制することなく、みんながどうしたら原子力発電を辞めるという意見を持つようになるかを考えてみましょう。そのためには、まず自分たちの行動を顧みましょう。原発可否の討論番組を作るテレビ局は放送時間を減らしてください。そしてエネルギーを自ら節約して下さい。原発反対の評論家はテレビに出て騒ぐよりも、電気を使わない生活を始めて下さい。「べき」論よりも自らが自らの現場で節電を実践しましょう。
私が大学を卒業した1974年には、中東戦争による石油価格の高騰がありました。日本への石油供給がほとんどストップする恐れが現実にありました。石油が無くなると日本は生き残れなくなるという不安から、日本ではあらゆる食料品や生活品を買いあさるという社会現象が起きました。いわゆるオイルショックです。今でも、原子力発電を無くして石油に頼ると同じことが起こります。私達の世代はオイルショックも経験しているので、現場感覚としてそんなに単純に政治家の「原発廃止」スローガンを信用することはできないのです。
国が小学生に押しつける「ゆとり教育」もその逆の「ゆとり教育廃止」(詰め込み教育)も、上から目線の思い上がりではないでしょうか。それぞれの現場に任せましょう。もっと人を信じて人に任せませんか?通達や規則は文章化されているので、細かく厳格に適用することができますが、そこには「こころ」がありません。「おもいやり」と弾力性に欠けています。「君が代のクチパクはダメで声を出して歌うこと」というのが、その例(悪例)です。私は「文字」よりも「ひと」を信じたいと思います。もっと言うと「法律」よりも、ひとの「こころ」を信じたい。
民主党が政権を取って以来、私達は「マニフェスト」という文書に振り回されました。ひとびとはマニフェストの細かな数字や内容など見ていないと思います。それよりも、当時の民主党の「ひとたち」を信じて、彼等に任せようとしたのだと思います。鳩山さんと小沢さんという「ひとたち」に、国の未来を任せたのです。かつて小泉さんに任せたときと同じです。鳩山さんの「米軍基地を沖縄から最低でも県外へ」という「こころ」に一票を入れたのだと思います。アメリカの抵抗にあってマスコミと自民党の攻撃にあって、鳩山さんの思い通りにはなりませんでしたが、彼が変心しない限りは私達は彼に任せたかったのではないでしょうか。「コンクリートからひとへ」という民主党の思いに、皆は一票を投じたのだと思います。「コンクリートからひとへ」と言った民主党のひとたちを信じて、任せたのです。「無駄を無くして、増税はしない」と言ったひとたちを信じたのです。鳩山さんと小沢さんを引きずり下ろした人たちがその後に次々と党首になられました。彼等は上から目線の「べき」論で消費税増税論を展開されました。野党と談合して消費税増税を決めてからその後で総選挙をするということは、まさに国民には任さないと言うことなのでしょう。
現場に任せない、大衆を信用しないという政治が続くと、人心は宗教とかマインドコントロールに救いを求めます。その結果、大衆迎合絶叫型のモンスター政治家がこの時代に人気を得ることになります。
私はよく「お忙しいでしょう?」とか「ご多忙だから、、、」とか、言われます。でも思われているほど忙しくはないんです。小説もたくさん読んでいますし、映画も音楽も楽しんでいます。研究論文も自分自身で書きます。それができるのは、事務スタッフ、研究室スタッフ、学生・塾生、社員などの現場の仲間に任せるからです[3]。スタッフや仲間と思いを共有するまではしっかりと議論をしますが、そのあとはひとを信じてひとに任せます。
今の日本に欠けているのは、ひとを信頼して現場に任せるという余裕かもしれません。SK
[1] 有料会員になると日経新聞をiPadで読めますが紙面の大きさがそのままで、スクロールばかりしないといけないし、WEB電子版とリンクしていません。新聞社の電子版に対する手抜きはひどい。簡単なことなんだからもうすこしIT技術を使えばいいのに。
[2] 前回は、今、本屋でベストセラーの池井戸潤の「七つの会議」です。
[3] もう一つは、野口悠紀夫さんの「続・超整理法:時間編」の実践です。この本は情報化社会の時間管理の本です。それまでの整理の常識に反して、書類や名刺などの情報を分類するな、ただ時間順に並べよ、と訴える本です。IT化社会の今になっては常識ですが、当時は衝撃的でした。私は、名刺保管も資料保存(ドロップボックス)も基本的には未来と過去だけの分類だけです(過去すなわちアーカイブは多少の分類は構いません)。過去の資料はiCalからそのことのあった日付を見つけ、そこから捜します。管理が苦手な人は、野口悠紀夫さんの本をお読み下さい。