第1回 TERS(先端増強ラマン散乱)の原理

先端増強ラマン散乱(Tip-enhanced Raman scattering: TERS)顕微鏡とは

レーザーラマン顕微鏡の空間分解能は、光の回折限界によって制限されるため、可視光を用いた場合、概ね300nmを下回ることは困難です。しかし、対物レンズによって集光されたレーザースポット内にナノサイズの金属の針(探針)を近づけると、探針の先端に数10nm程度の大きさの光を灯すことができます。この「ナノサイズの光」を走査しながらラマン分析を行い、数10nmの空間分解能でラマンイメージングを可能にするのがTERS顕微鏡です(図1)。またナノサイズの光は非常に強い光電場を伴っていることから、ラマン散乱光を増強する効果があります。そのためTERS顕微鏡を用いることで、通常のラマン顕微鏡では信号が弱くて測定できないような微小な試料に対して、ラマン分析を行うことも可能になります。では、なぜナノサイズの金属探針の先端に光が灯るのでしょうか?実は金属探針が光に対する「アンテナ」として機能することがポイントになります[1-5]。

図1:TERSの概念図とTERS像の例(単層カーボンナノチューブのGバンド強度像)

光のアンテナ

私たちの身近でアンテナと言えば、図2のようなテレビアンテナを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。アンテナで電波を受信することで、私たちはテレビ番組(映像・音声)を楽しむことができます。一方、番組を中継局から電波として送信するのもまたアンテナです。つまりアンテナは、伝搬信号(電波)と局在信号(映像・音声)を相互に変換する役割をしていると言えます。アンテナにおいて重要になるのは、その長さです。最も基本的なアンテナはダイポールアンテナと呼ばれるもので、受信したい電波の半波長に相当する長さに設計されています。地デジ放送の周波数(UHF帯)は470-770MHzですので、仮に600MHzとすると波長は50cmになり、アンテナの長さは25cm程度になります。

図2:テレビアンテナの概念図。伝搬信号(電波)と局在信号(音声・映像)を相互に変換します。

光も電磁波ですから、光に対するアンテナも作ることができるはずです。では、その大きさはどれくらいになるのでしょうか?可視光の波長は400-800nmですので、仮に600nmとすると半波長の300nm程度でしょうか?実は、光は波長よりも小さな金属に照射されると、金属内の伝導電子と結合して「プラズモン」という状態になります。プラズモンになると光は「遅く」なることが知られており、プラズモンの波長は通常の光の波長よりも数倍程度短くなります。つまり光に対してアンテナになり得るのは、数10-100nm程度のナノサイズの金属です。先ほどのテレビアンテナと同様に考えると、光アンテナは伝搬する光と局在する光を相互に変換する機能がある、と推測できるでしょう。実際、ナノサイズの金属に光(伝搬光)を照射すると、金属の端の数10nmの領域に局在した光が生成されます。この局在光は、伝搬光のエネルギーがナノ領域に閉じ込められたものですので、非常に強い光電場(増強電場)を持っています。また局在光は、ナノサイズの金属を介することで伝搬光として放射もされます(図3)。

図3:光アンテナの概念図。伝搬光と局在光を相互に変換します。

TERSにおける光アンテナの役割

TERSに使用される金属探針の先端も数10-100nm程度の大きさですので、光アンテナとして機能します。では、光アンテナという観点からTERSを見てみましょう(図4)。まず伝搬光が金属探針に照射されると、探針先端に局在光が生成されます。この局在光によって試料のラマン散乱が励起されるのですが、局在光は増強電場を伴っているので、励起パワーの増大によってラマン散乱光は増強されます。このとき伝搬光と局在光の電場の比をf=Elocal/Epropaとすると、ラマン散乱光の強度は探針がない時と比べて〜f 2倍になります。次にラマン散乱光は、金属探針によって伝搬光として放射されます(伝搬光にならないと、私たちは観測することができません)。この放射の際にも〜f 2倍のラマン散乱光の増強は起こり、TERSにおけるラマン強度の増強は、理論的には励起と放射を合わせて〜f 4倍になることが知られています[4,5]。まさにTERSでは、光の局在と放射という光アンテナの機能が重要な役割を担っていると言えます。可視光域では、金や銀の探針が高いfを示すことが判明しており、より高いfを実現するために様々な探針形状が研究されています[5]。

図4:光アンテナの観点から見たTERS。金属探針は伝搬光を局在光に変換し、局在光によって励起されたラマン散乱光を再び伝搬光として放射する役割をしています。

参考文献

[1] S. Kawata, T. Ichimura, A. Taguchi, and Y. Kumamoto, Chem. Rev. 117, 4983 (2017).
[2] S. Kawata, Jpn. J. Appl. Phys. 52, 010001 (2013).
[3] A. Taguchi, J. Yu, P. Verma, and S. Kawata, Nanoscale 7, 17424 (2015).
[4] P. Bharadwaj, B. Deutsch, and L. Novotny, Adv Opt Photonics, 1, 438 (2009).
[5] X. Shi, N. Coca-López, J. Janik, and A. Hartschuh, Chem. Rev. 117, 4945 (2017).