会長室からChairmans Office
第2回会長室から
今年、7月1日から9月5日まで、日経新聞で伊集院静さんの「琥珀の夢」という小説が掲載されました。サントリー創業者の鳥井信治郎さんの物語です。そのとき私は、たまたま北康利さんの「最強のふたり」という長編小説を読んでいました。これは信治郎さんの次男の佐治敬三さんと芥川賞受賞者の開高健さんの物語です。鳥井家は阪急宝塚線の雲雀丘に住み、雲雀丘学園を創立され、ご長男の鳥井吉太郎さんは阪急電鉄創業者の小林一三さんの娘さんとご結婚されています。私が子供の頃は、宝塚側から雲雀丘駅の次が花屋敷駅その次が能勢口駅そして池田駅でした。小林家は池田にありました。佐治敬三さんは池田師範学校の附属小学校(今の教育大付属池田)に通い、池田駅の次の石橋駅にあった旧制の府立浪速高等学校に尋常科から通われました。そして当時の大阪帝国大学に入学されます。長々とこの説明をするのは私の父が佐治敬三さんと同じ世代で浪高尋常科・浪高・阪大と同窓であり、私は池田に生まれて学芸大付属池田(今の教育大付属)から阪大に進んだので、少なからぬ縁を感じるからです。
さて、私が鳥井信治郎氏を特にすばらしいと感じるのは、何百年もの間もっぱら清酒を嗜んできた日本人に、テイストも風味もまるで異なるウイスキーなる飲み物を教えて普及させ、そしてビジネス化に成功されたからです。当時、だれもウイスキーを欲してはいなかったはずです。それが、都会から場末まで日本中にトリス・バーが並び、若者から年寄りまで角瓶とオールドで巷の夜を楽しむという文化を創ったのです。
ラマン顕微鏡も、こんな風に普及すればいいなと憧れます。光学顕微鏡、顕微赤外装置、そして電子顕微鏡に満足していた世界の人たちにはじめてラマン顕微鏡を発表して、12年が経ちました。「ラマン顕微鏡のマーケットは大きくない。ニッチ産業だ。値段が高すぎる」と、言われ続けてきました。いまでこそライバルに脅かされてるようになってきましたが、まだまだ広く普及しているとはとても言えません。X線CTが発明された1980年頃、CTメーカーの人たちはお医者さんたちに「断層写真など要らない。これまでのX線撮影装置で十分だ」と言われました。しかしその後CTスキャナーはあっという間に世界中の病院に普及しました。普及に至るまでのメーカーや商社の営業と宣伝の努力・能力とそのための資金も大きかったのだろうと思います。ラマン顕微鏡もCTスキャナーやサントリー・ウヰスキーのようになりたいものです。
サントリーのビールへのこだわりにも圧倒されます。何十年、何世代かかっても諦めることなくついに業界の中で確固たる地位を占めるまでに至ったのは、個性と品質への強いこだわりと思い入れの結果なのでしょう。そしてこれを実現することができたのは、50年のビール・ビジネスへの思いと支える経営能力と経営努力があったからなのだろうと思います。たった14年の歴史のナノフォトン社が、この二つの小説から学ぶことはとても大きいと思います。
2017年10月1日
ナノフォトン株式会社
代表取締役会長 河田 聡