会長室からChairmans Office
第11回会長室から
中学の理科の教科書に、「フックの法則」というのが出てきます。バネを引っ張る力とバネの伸びる長さが比例するという法則です。この発見で有名なロバート・フックは、このほかにも、気圧を測定したり真空ポンプを作製しています。しかし彼のもっと重要な力学や光学における貢献を、私たちは学校で学びませんでした。それは遙か昔からのことのようです。フックが考案したり発明した様々な装置はおろか、彼自身の肖像画すらこの世に残っていないというのです。
どうして?
中島秀人さんは、ニュートンがフックを歴史から消したのかもしれないと言います(『ロバートフック:ニュートンに消された男』朝日新聞社、1996)。ニュートンは他人との関係で極めて難しい人であったらしく、年上で有名だったフックには対しては特に攻撃的(お互いですが)であったそうです。ダンブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』(2003)では、ニュートンはフリーメーソンの中心メンバーであり、秘密結社シオン修道会の総長でした。ニュートンは学問にだけ熱中していると想像しがちですが、そのイメージとはまるで違っていたようです。
虫や鉱物や雪の結晶などを顕微鏡で観察して精密にスケッチしたことで有名なフックは、このフックと同一人物です。『ミクログラフィア』(1665年)の著者です。この本の中で、彼は顕微鏡でコルクのハニカム構造の要素を『cell』と呼んでいます。フックは細胞(植物)をcellと名付けた人でもあります。この本では、毛細管現象や気圧の測定や、さらには『引力』の法則についても述べています。フックより7歳年下であったニュートンは、学生の時にこの本を読んで学んだとのことです。そうです、ニュートンよりも先にフックが万有引力を発表しているのです。有名な「ニュートン・リング」についても、『ミクログラフィア』に2枚のガラスの隙間が虹を生み出すことが示されています。光の粒子性をとったニュートンに対して、フックは光は波動であるとの立場でした。白雲母の薄膜の虹などを観察しており、波の干渉効果を理解していたのでしょう。
ニュートンが考案したとされる反射望遠鏡に対して、フックは批判的だったとのことです。彼はガラスレンズからなる屈折望遠鏡の方が反射望遠鏡より優れていると考えていました。反射望遠鏡には色収差と球面収差はないのですが、金属に曇りが生じます。屈折率分散の異なる材料を2種類を使えれば屈折系(透過型)でも色収差は補正できるので、透過型の方が優れているというのです。実際、顕微鏡対物のほとんどすべては多数のレンズ群から成る屈折光学系です。一方、望遠鏡では鏡筒長が短い反射型が多く使われます。
私たち光科学者のバイブルとも言える『光学』をニュートンが出版したのは、ロバート・フックが亡くなった翌年のことです。それまで待ったのでしょうか。メンデルも同世代に活躍したダーウィンの「進化論」の陰に隠れて「遺伝の法則」が評価されることはありませんでした。評価されたのは、本人が亡くなってずっと先のことです(たしか、渡辺政隆『一粒の柿の種』岩波書店、2008)。
さて、ナノフォトン社の話です。このたびナノフォトン社は深紫外・紫外用の顕微鏡対物レンズ「sumilé」を設計製作し、販売を始めました。この対物レンズは深紫外のみならず近赤外まの広い帯域をカバーします。高NAで高い透過率を持つ深紫外対物レンズはこれまで世の中に在していなかったため、お客様に好評です。ただ値段が高くてごめんなさい。そして、この対物は反射対物です。ニュートン式ではなくカセグラン式です。もしフックが生きていたら、ナノフォトンのこの反射対物を褒めてくれたでしょうか?
註:この原稿の元となった中島秀人氏の本『ロバートフック:ニュートンに消された男』は、お薦めです。ダビンチ・コードについては、私自身が2004年6月の今月のメッセージに「ダ・ビンチ」というタイトルで書いています。
2018年9月29日
ナノフォトン株式会社
代表取締役会長 河田 聡