メールマガジンEmail Magazine

導入事例
ラマン顕微鏡で新型コロナを見分ける/京都工芸繊維大・ペッツォッティ教授


 「新型コロナウイルスの変異株は、ラマン顕微鏡で見分けられます」──。京都工芸繊維大学のジュセッペ・ペッツォッティ(Giuseppe Pezzotti)教授の話に驚きました。物質にレーザー光を当てると、分子レベルの構造の違いを反映したラマン散乱光が出てきます。この現象を利用したのがラマン顕微鏡ですが、新型コロナの変異株の違いもラマンスペクトルの違いとして現れるというのです。ナノフォトンのラマン顕微鏡を導入した企業や研究室を紹介するシリーズ。今回は、京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科(京都市左京区)のセラミック物理学研究室を訪ねました。(メルマガ編集長/フリーライター・根本毅)

京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科のジュセッペ・ペッツォッティ教授

四つの博士号

 研究室のペッツォッティ教授はイタリア出身。現在、大学の副学長も務めています。名刺には、工学博士、医学博士、理学博士と記されています。

 「27歳だった1987年に大阪大学に来て、材料化学の研究で工学博士を取得しました。さらに、ラマン分光法を使った応力測定技術を開発し、京都大学で理学博士を取っています。2010年ごろから医学の世界の研究をし、整形外科の関連で東京医科大学で医学博士、京都府立医科大学でも昨年、免疫学で医学博士を取得しました。博士号は合計四つです」

 医学分野の研究はナノフォトンのラマン顕微鏡を使い、京都府立医科大学の松田修教授(免疫学)、足立哲也講師(歯科口腔科学)らと共同で行っています。

 「ナノフォトンのラマン顕微鏡はものすごいスピードで測定でき、細胞や細菌、ウイルスを生きたまま見られるのが魅力です。データ処理も優れていて、きれいなイメージが得られます。ソフトウエアを作った人は科学者のニーズをよく分かっている。速い測定ときれいなイメージングは、医学分野ではすごいメリットです」

整形外科や歯科学の研究で活躍するラマン顕微鏡

 ラマン顕微鏡を使って進めた研究テーマは、大きく分けて四つ。順にお聞きしましょう。まずは整形外科。骨を作る細胞の研究です。

 「どのようなメタボリズムで細胞が骨を作るのか、初めて一個の細胞のレベルで可視化しました。これは大きな仕事だと思っています。分かったのは、セラミックを体内に入れると細胞との間でいろいろな現象が起こるということ。例えば、酸化アルミニウムは、体内で何の反応もしないと一般的に思われていましたが、実はイオンの働きで細胞死を誘導します。逆に、窒化ケイ素は細胞を増やします。このように、ラマン顕微鏡はミクロの世界の現象を可視化して教えてくれます」

 次は神経科学の分野。ペッツォッティ教授らは、神経細胞のネットワークのメンテナンスを担うシュワン細胞を観察しました。

 「働いている細胞とサボっている細胞があることが分かりました。光学顕微鏡では同じに見えますが、ラマン顕微鏡で細胞の構造の違いがはっきりと見分けられました」

ホワイトボードを使って説明するペッツォッティ教授

 歯科の分野では、口の中の歯周病菌と虫歯菌を研究のターゲットにしています。例えば、歯周病菌が出す物質はアルツハイマー病や関節炎などとの関係が指摘されており、この物質と神経細胞などとの関係をラマン顕微鏡で調べられます。これらは、京都府立医科大学歯科口腔科学の金村成智教授、山本俊郎講師との共同研究です。

2年半前にウイルス研究に着手

 ペッツォッティ教授らの研究は非常に興味深く、もっと聞きたいところですが、今回のインタビューはウイルス研究に焦点を当てることにします。ペッツォッティ教授は約2年半前、京都府立医大の松田教授のグループとこの研究に着手しました。新型コロナウイルス感染症が世界に知られる前です。

 「ウイルスが細胞に感染するメカニズムに興味を持ち、可視化しようと考えました。そのためにまず、インフルエンザなどのウイルスのラマンスペクトルのライブラリを松田教授と作りました」

 さまざまなウイルスのラマンスペクトルを集め、ライブラリとして整備すれば、ウイルスの種類を特定するデータベースになります。種類が知りたいウイルスのラマンスペクトルを測定し、特徴が同じウイルスをデータベースから探せばいいわけです。ちょうど、指紋で個人を特定する作業と同じです。

新型コロナもラマンスペクトルで判別

 「ライブラリを作っていて分かったのが、インフルエンザウイルスの種類の違いもラマン分光法で分かるということです。例えば、インフルエンザウイルスにはH1N1型やH3N2型がありますが、ラマンスペクトルはそれぞれ固有のパターンを示しました。もちろん、遺伝子を分析すれば種類の違いを判別できますが、ラマンがすごいのは時間がかからないところです。さらに、新型コロナウイルスの変異株をラマンスペクトルで区別できたのは驚きでした。まだ誰もそういう研究をしてなくて、想像外でした」

4種類のウイルスの電子顕微鏡像と模式図、ラマンスペクトル。上の二つはいずれもA型インフルエンザウイルスで、左のH1N1型と右のH3N2型はラマンスペクトルの違いで見分けられる。下の二つはB型インフルエンザウイルスとDNAヘルペスウイルス

 なぜ、ウイルスを区別できるのでしょう。

 「まず、ウイルスのゲノムに含まれるプリン(A、G)とピリミジン(C、U)の比率が株によって違い、ピークの強さに現れます。また、タンパク質のαヘリックスなどの2次構造や、S-S結合などの違いもあります。新型コロナウイルスの変異株は一般的にスパイクタンパクの違いのみで説明されていますが、実はゲノムや、タンパク質の2次構造、アミノ酸の組成も違っています」

 ペッツォッティ教授はラマンスペクトルをバーコードに例えます。バーコードはみな同じように見えても線の太さと間隔が異なり、その違いで情報が表現されています。ラマンスペクトルも、ピークの位置と強さ、幅という三つのパラメーターでさまざまな情報が判断できます。

ウイルスの感染能も判別

 ウイルスは非常に小さく、ラマン顕微鏡では1個1個を判別できないのが難点。ウイルス判別の実用化には、ウイルスを集める技術の開発が必要になります。

 一方、ウイルスの判別に現在使われているPCR法より優れた点があります。PCRでは、新型コロナウイルスの活性、つまりウイルスに感染する能力があるかどうかは分かりません。しかし、ラマン顕微鏡は違います。

 「現在はAMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)事業で新型コロナウイルスに対する抗ウイルス活性を有する素材の開発を行っています。抗ウイルス素材に新型コロナウイルスを接触させるとウイルスは失活し、ラマンスペクトルも変化しました。ラマン顕微鏡なら、ウイルスに感染する能力があるどうかも判別できます。」

 ペッツォッティ教授の研究室がナノフォトンのラマン顕微鏡を導入したのは今年です。それまでは、離れた場所にある外部の機関の装置を使っていました。

ペッツォッティ教授の研究室に導入されたナノフォトンのレーザーラマン顕微鏡RAMANtouch

 「ラマン顕微鏡を使った研究がメインになり、借りているのでは物足りなくなりました。ラマン顕微鏡を使えば、細胞やウイルスは自分がどういう顔をしているかささやいて教えてくれます。一度見てしまうと、やめられません。毎日でも見たいので、購入しました」

「ラマン顕微鏡で全ての情報を取り出したい」

 研究に対する強い熱意を感じました。ラマン顕微鏡を使えば、誰も見られなかった世界を見ることができる。そこに魅力を感じているのでしょう。「ささやいてくれる」という表現が印象的でした。

 「ラマン顕微鏡を使って、全ての情報を取り出したいと思っています。私はイタリア人ですので、漢字を初めて見た時に『なんだこれ』と思いましたが、理屈をつかんだら読めるわけですよね。ラマンスペクトルも同じようなもので、最初に見た時は『何これ』と思うんですが、そこに含まれている真理は解明できます。それが僕の仕事です」

 最後に、ナノフォトンへの注文です。

 「あれだけ素晴らしい装置を発明したのだから、次は持ち運べる装置を発明してほしい。そうすれば、医療の現場ですぐに細菌やウイルスの『ささやき』を聞くことができるようになります」