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創業19年  
河田会長が語る 苦労と成長、そして売上100倍計画


 ナノフォトンは2月3日、創業19周年を迎えました。大阪大学発ベンチャーとして産声を上げてから、数々の試練を乗り越えて現在に至ります。創業者の河田聡・代表取締役社長兼会長に、創業当時からの道のりを振り返っていただきました。現在は、売上を100倍にするためにどうするかを考え、デザイナーの話にも耳を傾けるようにしているそうです。(メルマガ編集長/フリーライター・根本毅)

アメリカの教授は、ガレージでものづくりをしていた

――創業19年、おめでとうございます。河田会長は、大阪大学教授だった2003年にナノフォトンを創業しました。当時はまだ大学発ベンチャーは少なかったと思います。まず、創業に至る経緯をお聞かせください。

河田会長 1979年から81年まで、アメリカのカリフォルニア大学アーバイン校で研究助手を務めました。当時、アメリカの教授たちは皆、ガレージで学生たちといろんなものを作っていた。エレクトロニクス回路を作る人もいれば、レンズを磨いている人もいる。ガレージから会社が始まる、という時代でした。スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックがアップルコンピューターを創業したのもその頃です。

 アメリカでそういう状況を見ていたので、私も単に論文を書くだけではなく、ものを作って、あわよくばそれが売れたらいいな、と思っていました。

――アメリカでは何の研究をしていたのですか?

 1979年にエックス線CT(コンピューター断層撮影)がノーベル賞を受賞していますが、そのエックス線CTを光でやることを目指していました。顕微鏡の中に入れて、細胞の断面を見たいなと。ただ、それは私の思いであって、私を雇っている教授はエックス線CTの写真からがんを見つけることをテーマにしていました。でも、今で言うディープラーニングのようにパターンをたくさん学習させて、という話で、科学的ではなかったから本当はあまり興味がなかったんです。

前例主義と闘い、創業

――ガレージでものづくりをしていたアメリカの教授たちを見ていて、帰国した後に……。

 私もまねをしたいと思っていたんです。でも、阪大に呼んでもらって教員になったら、そんなことはあり得なくて。学問は民間と関わってはいけないという時代でした。そのため長く関われなかったのですが、大学教員の兼業が規制緩和されたため、創業することにしました。前例主義との闘いは非常に苦労しました。

 当時、ベンチャーという言葉が出てきていました。ただ、アメリカで見ていたのは、今言っているベンチャービジネスとは違いました。アメリカでは町工場というか……、みんな、ものを作って楽しんでいた。「お金もうけをしよう」という感じではありませんでした。スティーブ・ジョブズだって、自分で作ったものをみんなが受け入れてくれるかどうか試したかったわけです。だから私も、先端技術を使った小さなビジネスをやってみたかった。それがナノフォトンを創業するきっかけですね。

――今言うベンチャービジネスというのは?

 いわゆるベンチャービジネスは、M&Aや上場を目指すんですよ。でも、私のイメージは違った。会社を売りたかったわけではなく、「こんなものを作りました」と商品を売りたかった。それに、何百億円で会社を売るとか上場するとかということにリアリティーもないし、1000に3つしか成功しないようなことはしようとは思っていませんから。例えば、脱サラするじゃないですか。その人はいきなりすごい会社を作ろうとは思わず、やっぱり先にメシを食っていこうと思うでしょう。やりたかったけど会社ではできなかったことで、ラーメン屋でもフリーランスでも、やっぱりそれで食っていこうと考えるはずです。リスクは避けますよね。それと一緒です。

――最初からラマン顕微鏡を作るために会社を?

 いや、違います。ナノフォトンという社名で明らかなように、私の持っているナノテクノロジーとフォトンテクノロジーで世の中の役に立つものを作りたいと考えました。最初にラマン顕微鏡を発表したのは2005年ですから、創業から2年たっています。

実験室の片隅からスタート

ーー創業当時の様子を教えてください。

 私は大学教授の仕事がすごく忙しくて、自分で会社経営をする時間も経験もない。だから会長に就任し、社長はある企業で開発部長をしていた方にお願いしました。彼は大学の研究レベルの製品ではなくて、民間に売るレベルの製品を作るノウハウを持っていました。初めは私の研究室の実験室の片隅に机を置いて始めました。投資会社からお金をもらわずに始めたので、非常に困っていました。

――最初の製品が第2高調波顕微鏡(SHG顕微鏡)ですね。以前、技術顧問の藤田克昌・大阪大教授のインタビューでうかがいました。

 アイデアがあって作ったのですが、価格は1億円くらいだったと思います。高くて、買ってくれるお客さんがなかなか見つかりません。そこで、3000万円の装置にしようと考えました。なぜ3000万円かというと、当時の大学教授が使えた研究費は最大5000万円くらい。すると、買える装置は3000万円程度です。単年度会計ですから2年に分割できません。

 我々科学者は、最先端のレーザー分光装置を作ろうとするんです。それはそれで面白くて論文を書くにはいいんだけど、マニアック過ぎて普通のお客さんには不要なんです。そこで、普通のレーザーを使った3000万円の装置を作りました。ラマン顕微鏡です。これは売れると思いましたね。よく考えられた装置でしたから。

最初はあまり売れず

 ところが、売れなかった。2年間、1台も売れなかった。売れなかったのは、皆がラマン顕微鏡を知らなかったからです。営業力が全くありませんでした。この間、特注の顕微鏡などを組み立てる注文を受けて、しのいでいました。大学関係が多かったと思います。

――2年後に1台目が売れたんですね。

 みんな大喜びです。ダイヤモンドを測定する用途で、兵庫県の会社が買ってくれました。まったく予想していないところからの注文でした。

 その後もあまり売れず、苦しみました。そうした中、最初の社長が退くことになりました。次の社長を探さなくてはなりません。それが2007年だったと思います。そして見つけたのが、技術と会社経営の両方が分かる人でした。中国から留学して東京大学大学院工学系研究科で博士号を取得した後、民間企業に転職し、経営大学院を卒業していました。彼は、会社の仕組みを作ってくれましたね。

 しかし、赤字が出てしまい、彼も別のベンチャービジネスに転出しました。また社長探しです。今度はドイツの会社の日本法人代表を務めていた人に来てもらいました。2015年です。彼は、初めて投資を受けて、会社の経営状態が楽になるようにしてくれました。中国と韓国、ドイツに現地法人を作ってくれて、精力的に活動してくれました。しかし、2017年に会社を去ることになりました。

4代目の社長に就任

――そして、河田先生が社長を兼務することになりました。

 ちょうどその年の3月に、大学を定年退職していました。特定の大学に所属せず、3カ月ずつ世界のいろんな大学に行ってのんびり生活しようと思っていたのですが、会社の経営がひどい状態で社長も雇えず、自分でやることにしました。

――それからは会社の立て直しですね。

 3カ年の再建計画を立てました。投資してくれていたベンチャーキャピタルにはすごくしかられましたね。中国のオフィスを泣く泣く閉じて。韓国も閉じろと圧力をかけられましたが、「嫌だ」と頑張りました。

――今、ナノフォトンは業績を伸ばしています。

 コロナがあったけれど、今期も前期より3割増の売上ですし、利益も10%を確保しています。確実に安定化しています。製造を外部委託にしたので製造する人材をたくさん雇わなくていいし、工場を持たなくてもいい。でも、そこまで持っていくのに苦労しました。

――河田会長にとって、どんな19年間でしたか?

 むちゃくちゃいい経験をさせていただきました。勉強になりました。もっと若かったら、この経験を他で使ってもいいですね。

――勉強というのは経営ですか?

 経営もありますし、製造も研究開発も営業もあります。さらに、新製品はどんなものを開発すべきか、というのもあります。

売上100倍計画

――ナノフォトンは今後、どのように変わっていきますか?

 5年で売上を5倍にする計画を打ち出していますが、それだけではサチって(業界用語。飽和して、の意)しまうんですよ。だから今、売上を100倍にするには一体何をすればいいだろうかと考えています。例えば「ラマン顕微鏡だけでなく、既存の他の顕微鏡にも手を出します」では2、3倍にしかならず、100倍にはなりません。100倍にするため、今ある技術を活用して全く違う次元に持っていきたいと考えています。

 イノベーションは技術革新ではなく、新結合。古い技術でいいんです。それを別の技術と結合すればいいんです。ルンバは、バキュームクリーナーとロボット技術をうまく組み合わせただけなんですね。それが掃除する時間をなくしてくれて助かるわけです。スマホだって、携帯電話とカメラとアプリの組み合わせです。

 私はいつも、サイエンスはイノベーションではない、異端妄説、常識の否定だと言っていますが、会社の技術開発はイノベーション、新結合がいいように思います。今後、新結合を積極的に進めたいと思っています。

 そしてもう一つ。デザイナーの話を聞こうと思っています。デザイナーは製品を見て、感性でもって「この部分が邪魔だ」と言うんですよ。で、我々は「無理です」と即答してしまうんです。でも数カ月後、改善する方法を考えました。テクノロジーの組み合わせで実現させます。その結果、「邪魔」が改善される以外にもさまざまなメリットが生じます。

 お客さんは、このようなことを言ってきません。「そういうものだ」と、その装置に甘んじているんですよ。こちらの営業マン、技術者もそうです。デザイナーだけ「不細工だ」と言ってくれます。

――デザイナーという外からの刺激が、新結合のきっかけになるのですね。今後も、ナノフォトンの進化を見守らせていただきます。本日はありがとうございました。