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創立20年
ナノフォトンは20年前の2003年2月3日、大阪大学発ベンチャーとして誕生しました。20周年の取り組みの一環として、ナノフォトンの初代社長である大出孝博氏に創業当時のお話をお聞きしました。(メルマガ編集/原田亮)
大出孝博 初代代表取締役社長
──大出さんは、河田会長と長年にわたりレーザー顕微鏡の研究開発の分野で懇意にされており、レーザーテック開発部長を退職し、阪大フロンティア研究機構に特任教授として参画され、河田会長と起業されたとお聞きしました。改めて当時のことをお聞かせください。
ナノフォトンは大学発ベンチャーとして設立されました。そのため河田先生の兼業兼職届が大学に受理されなければなりません。ところが、これが実に難儀で、既存の規則は「原則禁止」ですからそう簡単には通りません。当時は大学からベンチャー企業を創出することが望まれていることのように報道されており、確かにそのような風も吹いていましたが、一方では「無難に、無難に」という逆風も強く、ナノフォトン設立はその渦の中で翻弄されていました。「総論賛成、各論反対」という言葉そのもので、一時はナノフォトンの設立は困難ではないかと感じたものです。何度も交渉を重ねた末、最終的には承認していただくことができました。後で調べてみると、大学人が発起人となって会社を創業したのは日本で3例目だったそうです。苦労はしたものの、日本では希有の大学発ベンチャー企業を設立できたと思っています。
──会社名や会社理念はどのように考えられたのでしょうか。
会社名は河田先生と一緒にいろいろ考えたのですが、商標が既に取られていたりとか、いわゆるWebのアドレスが既にほかのところに取られていたりしました。ナノフォトンならnanophoton.jpですが、当時、co.jpが正式だったから、co.jpと.jp両方取ることができました。.comも取りたかったのですが塞がっていたので諦めました。商標も確認して、特許庁で商標を確認して、ナノフォトンは未登録だったので、それを先に押さえて・・・とか、そういうこともやりました。当時、ナノという言葉が付くと、先端的なイメージもあり、とても良い名前でスタートできたと思っています。ナノフォトンを発案したのは河田先生です。
また、理念は分かり易く、印象の強いものでなければなりません。 そこで、創業の理念を表す言葉として私が考えたのが 「ユーザーからノーベル賞を!」 という言葉です。このスローガンは最先端の理化学機器を開発することで社会に貢献したいという我々全員の気持ちを的確に表現することができました。 実は、霞が関で望外にこの言葉が受け、ナノフォトンを覚えて頂くのに随分貢献してくれました。ただ、それを定款に記載する際に、ナノフォトンで作る製品を使ってユーザーがノーベル賞をとれるようなレベルの高い装置を作りたいんだと、最先端のものを作りたいんだということを書きました。すると役所の担当者にこれはダメだと言われました。なぜかというと、どういう装置を使ったらノーベル賞が取れるかをはっきり書かないと・・・と。 そんなことが分かるんだったら、お客さんじゃなくて私がノーベル賞を取ってますよと言うと、向こうも笑ってました。結局、その文言は外しました。
ところで、この「ユーザーからノーベル賞を」というフレーズは2007年頃からあまり使わなくなりました。というのは装置を検討していただいているお客様が研究職とは限らないので、より幅広くニーズを切り拓こうと考えたためです。
──ナノフォトンのロゴについてはいかがでしょうか?
会社にとって欠かせないものがロゴマークです。これについては河田先生から日本を代表する工業デザイナーである川崎和男先生に制作をお願いしていただきました。完成したロゴマークは今も使われている素晴らしいものです。このデザインはナノフォ トンのイニシャル「N」を基本形態としたもので、中央の斜線的造型によって光・屈折・拡大・見るという企業イメージを印象づけています。また、この動的な造型を両側から挟み込む形態は、デジタルとアナログ、ハードとソフト、波動性と粒状性など対照的かつ相反的な事柄をシンプルに対峙させたデザインでもあります。このロゴマークは今見ても全く古さを感じず、デザインの力強さとはこういうことかと感心しています。
──当時の出来事で印象に残っていることは何かありますか?
いろいろあって、毎日が印象深いですが、RAMAN-11を発表して、りそな中小企業振興財団様の新技術・新製品表彰事業に応募し、最優秀の中小企業庁長官賞を受賞することができました。この賞の受賞はナノフォトンの開発力を広く世間にアピールできる良い材料になりました。授賞式に行って、トップだから私が並み居る各社の代表であいさつをして、中小企業庁長官から直接、表彰していただいて・・・。当時は望月長官。いろいろ話ができて、それが非常に印象的でした。
──ナノフォトンの記念すべき一号機はどのような会社に売れたのでしょうか?
最初の一号機は兵庫県にある切削工具会社に買っていただきました。工具の観察とは予想外でしたが、ダイヤモンドの評価に非常に良いということを言っていただきました。最先端顕微鏡では思ってもいない用途に売れることは珍しくありません。ラマン顕微鏡1台目がやっと売れたかという感じでした。その前に賞もいただいたり、賞をいただいた後も、まあ、いろんな学会でプレゼンテーションをしたわけですね。それでいろんなところで高い評価を受けましたが、プレゼンテーションで高い評価を受けるだけじゃやっぱり少しむなしいところもあって、実際にお金を出して買ってくれるお客さんが現れるのが重要です。それが、やっと出たかという感じで非常にうれしかったですね。いろんな意味で、世の中に認められた感じがして、二重、三重にうれしかったです。
──大出孝博さんありがとうございました。次回以降も、初期のナノフォトンに関わってきた皆さんにインタビューしてナノフォトンの歴史を紐解いてまいります。